「演劇」の「演」という字は、何を意味するか知っているかい。それは、「ながれる」という意味さ。演劇は、ひとことで言って、「流れflow」だ。「流れ」にもいろいろあるよな。濁流、清流。遅いの、早いの。それから…激しいの、落ち着いたの。おもしろい演劇のなかには、いろんな流れが詰まってる。もちろん、「流れ」を、ただ、流しっぱにしておいちゃダメさ。どこかで、「切断」しなくちゃならない。その役割が、「言葉」なんだ。
言葉って、「セリフ」のことだけじゃないぜ。からだの振る舞い、表情。衣装に、照明、すてきな音楽。そういった「言葉」が、「流れ」に手を差し伸べたとき、舞台に「出来事」が起こるんだ。演劇を見ているとき、僕たちは何を見ていると思う? 声の振る舞いだろうか? 物語の振る舞いだろうか? それとも、身体の振る舞いだろうか? 振る舞いの「流れ」が、どうやって出来事に変わるのか。その瞬間を、タマゲキでモクゲキしちゃおうぜ。今からどきどきしちゃおうぜ。「透明人間」がやってくるのは、もうすぐです!
(ところで、タマゲキが、「流れstream」配信をやってたって、知ってたかい?)
月曜日, 11月 28, 2011
土曜日, 11月 26, 2011
木曜日, 11月 24, 2011
緊急タマゲキインタビュー!
タマゲキ番外公演「透明人間」

coming soon!!緊急タマゲキインタビュー!!
番外公演「透明人間」
日時:2011年11月28日(月)、11月30日(水)、12月2日(金)
開演18:30(開場は開演の30分前)
場所:鑓水青年美術館
入場無料
自己紹介をかねて今回の公演の意気込みを教えてください。
坂田:絵画学科日本画専攻2年、タマゲキ代表の坂田です。今回、第二回番外公演「透明人間」を三日間ヤリビで公演させてもらいます。
今までタマゲキの活動として、新歓公演、新人公演、芸祭公演の3本で毎年行っています。今年はそれ以外に有志で番外編公演を行っていて、今回第二回目番外編公演をやらせてもらうことになりました。今までの会場とは趣向をかえてヤリビに目をつけました。
タマゲキは2005年4月からスタートして、今年で6年目に入りますね。タマゲキの大きな特徴として公演ごとに役者と演出家を変えることが挙げられると思いますが、他にどのような特徴がありますか?
坂田:そうですね、脚本がオリジナル作品が多いのも特徴の一つです。美術大学ということあって、舞台美術と衣装に凝ります。部員が仲が良いのも特徴ですね。公演によって異なるのですが、今は週3か2日ぐらいで練習し、本番近くになると毎日練習しています。
単位を落として留年する人はいるんですか?
坂田:ちらほらと。笑
演劇のやりがい面白さを教えてください。
坂田:役者にしろ裏方にしろ。全て何か表現することにつながっています。また、お客さんにみせるので完成度を求められる。演劇は映画と違って本物の人がやるじゃないですか。本物のもつ臨場感はすごいと思う。映画じゃ伝えられないものも演劇なら伝えられる。そういうとこに惹かれます。あと、けっこう今の世間は演劇が盛んじゃないくて、観にいく人がいない。そのことに対する反発っていうのもあります。
演劇や映画は「ハコ」の中で行われていて、観る人数が限られてしまいます、それについてはどうおもいますか?
坂田:今回の芸祭で、ユーストリーム配信をはじめて行いました。DVDの販売も加え、もう一回みて頂けるのはハコからの脱却の一歩になりえると思います。同じ脚本が使われないかぎりその場で終わり、オリジナルなものは公演は、一回限りのもの。そこは絵画の表現と違う所で、演劇は時間芸術だといえます。音楽も似たようなとこがあって、音楽はCDで録音すればまたすぐ聴ける。その音というものに映像という視覚的要素がついたとこは、演劇のメリットでありデメリットだともいえると思います。
演劇の魅力はなんですか?
三上:今回は役者をやっています。役者は一番目立つ部署で、脚光にあび注目してもらえるのが一番面白いとこです。
また、その時その時で色んなものを演じられる。普段だったら何やっているのと思われたり、行きかねると犯罪だと思うようなことも演劇だから許される。そういうものにどんどん挑戦できるっていうのは、演劇の魅力だと思います。
普段の制作と演劇はどのような点でちがいますか?
坂田:僕は日本画をやっているのですが、見せる方向が違う。絵画は残るもの、時間芸術である演劇は残らないもの。構図をきめてエスキースして描いていく孤独な作業の絵画に対して、演劇は集団芸術なんで、一人でも欠けるとダメになってしまう。絵画にはない別の楽しさがあると思います。
普段の制作が演劇に反映されたり、また逆に演劇でやっていうことが制作に反映されるなどの連関はありますか?
坂田:演劇をすることによって、物の考え方は変わりました。そのことが制作に反映されていると思います。その逆は僕の場合ないかな。
三上:僕は彫刻を専攻していますが、彫刻には空間や時間、その時その場でなければならないっていうのは明確になければならないので、演劇と相互で似通ったところがある。その場所で何ができるのか何があるのか。その意味がなんなのか。同じみせるものとして共通してるんじゃないかなぁと思います。
例えば置いただけでも空間ができてしまう彫刻と同じように、演劇でも役者がただ立っているだけで、台詞がなくて背中を向いているだけでも意味合いって生まれるもの。一つ一つの意味を考えるっていう点は深く共通していいると思います。
最後に一言どうぞ!
坂田:演劇は西洋美術の考え方でいうと演劇は高等美術にあたります。正直、すごいことやっているんだぜと思います。
ヤリビ、そんなに人、入りませんが、ぜひ来てください!!
三上:演劇から得られるものって美術はすごい多いとおもう。だからこそ、どんなものでもみてほしい!
多摩美演劇部
土曜日, 11月 19, 2011
ヤリビ新聞「DROP ME!」展取材
多摩美術大学美術学部芸術学科展覧会設計ゼミ企画展覧会 開催期間:2011.11.17(Thu) - 11.23(Wed) 開場時間:15:00 - 21:00(Weekends & Holidays 13:00 - 21:00) 会場:nitehi works 入場料:無料
「あなた知ってる~♪港横浜~♪」 今は亡き青江三奈の甘く気怠げな歌声が漂う伊勢佐木町モール。 誰もが一度は耳にしたことがあるこのセクシーブルースは、 モールの中心部にある、「伊勢佐木町ブルース歌碑」 で聴くことができる。モールを少し北に外れた所に、 若葉町があり、現在CPUE(芸術学科展覧会設計ゼミ, 長谷川裕子監修)による「DROP ME!」展が行われている。会場「似て非works」は、 元銀行をリノベーションしたもので、 吹き抜け構造の3階建てはキュレイションの新しい可能性を感じさ せる。最寄り駅は日ノ出町と黄金町で、知る人ぞ知る「赤線地帯」 の近くに会場は位置する。1956年の売春防止法を境に一時息を ひそめたかと思いきや、まだまだ周囲を見回せば、「 ピンクライオン」や「洗体」 という字が目にとまり売春街の残り香を感じさせる。
会場に一歩足を踏み入れると、そこには色彩があふれている。 細長い長方形にカットされた色とりどりの色画用紙は繋がり合い、 天井から垂直に垂れ下がり、天井・壁・地面へと生い茂る。 中島崇による「the Beautiful,the Ugly」だ。紙という2次元の素材が3次元に起こされ、 会場を浸食する。階段を上って2階部分には、 山本聖子によるガラスの立体作品がある。 ガラスの内部には若葉町界隈の不動産の住宅広告「間取り」 がちりばめてある。人々の生活や記憶の居場所が、 彼女の手よって再構築される。
踊り場を通ると、岩崎岳留が滞在制作を行っている。 岩崎氏は会期中の7日間会場に滞在し、 鑑賞者との対話により制作を進める。3階に上がり、 金庫の扉をあけると、 光線が交錯する中にけたたましい笑い声が鳴り響く。 SONTONの「若葉町でんぐ」だ。 巨大天狗が横浜ベイスターズの帽子を被り、 突き出た鼻が回転する。 そのエネルギッシュな空間は目がチカチカするため長時間はいるこ とは難しい。
その隣には岩井優の映像作品がある。岩井氏は「 ダンシング・クレンジング」をテーマに作品をつくっている。 今回は会場の若葉町を舞台に、 100人でダンスをしながら掃除を行った。 その映像を若葉色の空間に閉じ込めた。緑色の空間に暫く居て、 白熱灯の電球の空間に戻ってくると、 辺り一面がピンク色に染まる。 会場行き道にあったピンクなお店を連想してしまったのは私だけだ ろうか。また、会場である若葉町周辺にはに松延総司の「私の石」 というセメントで作られた石3000個が、 本展の学生キュレーターたちによって設置された。
その隣には岩井優の映像作品がある。岩井氏は「
若葉町というフィールドに、どっぷり浸かった「DROP ME!」展。その背後には、 町に入り込んでいくキュレーターの卵たちの姿があった。 芸術学科展覧会設計ゼミでは、 学生たちがプロのキュレイターの指導を受け、 現代美術の展覧会を実践を通してゼロから作り上げる。 展覧会の大きな特徴として、 開催地を毎年変えることが挙げられる。なぜ場所を変えるのか、 その理由は「地域に歩み寄るため」の一言につきる。
ゼミ長、矢彦沢和音氏は、 通算50回ほど若葉町に足を運んだという。若葉町の歴史は古く、 数多く立ち並ぶ飲食店の多くは昔ながらの老舗店だ。 下町特有の閉鎖的な雰囲気があるこの町にどのように入り込んで行 ったのか、矢彦沢氏にきくと「メシを食うこと。」だという。 展覧会会場の周りの老舗店で、メシを食う。 そこで店主に話しかけ、若葉町の歴史をきいたり、 地域のお祭りがあるときけば、半纏を羽織り神輿を担ぎに行く。
町が持つ土着のテクストをキュレイターが交流を通じ紐解き、 そこで抽出されたものを作家のフィールドに投げかけていく。 銀座のギャラリーでは生まれない展覧会が、 このことにより実現する。会場周辺には、 展覧会のポスターと共に先述した松延総司の「私の石」 のキャプションポスターが町内のあちらこちらの店先に設置されて いる。若葉町と体当たりで築いてきた関係が、 この町中のキャプションをつくったといえるだろう。
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